現市民球場改修案

現在使われている市民球場は、広島市民の手により建設され、復興の象徴として長年親しまれてきた。

しかし、近年では施設の老朽化を隠せず、現在地での改修と移転新築が協議されてきたが、広島駅ヤード跡地への移転新築でプロジェクトは動き出した。

そこで、この現在の市民球場跡地をどう活用するか、その議論はいまだ協議されている。

当然「サッカー専用スタジアムに改修」という意見も出されている。絶好の立地、アクセスとJリーグを開催するには絶好の位置であり、既存の施設を利用しての改修&一部新築で、建設費を比較的安くすることも可能かもしれない。

※画像

ところで、この現市民球場が建っている場所は、すぐ横に原爆ドーム、平和公園が隣接し、景観論争、政治的論争に巻き込まれる可能性のある場所でもある。また、広島市、財界等、かならずしもサッカー専用スタジアムに前向きな雰囲気でもない。

当サイトも、この位置では、純粋に「サッカーを魅せる」ことに設計の主眼をおいた自由な設計、また将来拡張の必要に迫られた時にも厳しい規制が予想されると考える。ここで一つの図を示したい。

(画像再現:当時は紙資料からスキャンした画像を使用)

この図は、広島平和記念公園のマスタープランを示した丹下健三が、引き続いて行った、「広島平和都市建設構想案」である。このように、丹下の設定した「平和記念資料館~原爆ドーム」という軸は、さらに北に延び広島城一帯を包括した総合公園という構想を持っていた。実際、こう構想の一部は中央公園にその名残を見ることができる。

現市民球場の移転によって、あらたな空間が生まれるが、この空間は中央公園と平和公園を結ぶ空間として復活するべきであり、それは広島市の言う「市民の回遊性の向上」に合致するものであると思う。しかし、市民が回遊する、その先に魅力的な施設が整備されるべきである。上に示した丹下の計画でも、北部の地域には「陸上競技場」そして「フットボール場」の字も見える。

そこで、以下の図のように、「中央公園に新たな施設を整備し、球場跡地は公園として整備」という方法を提案したい。

(画像再現:当時は紙資料からスキャンした画像を使用)

制限された土地に無理に施設を整備する必要はない。

市民球場跡地があらたな空間となることで、平和公園、中央公園はより一体化する。そして一体化した公園の魅力の向上に、現中央公園へのサッカー専用スタジアムの整備は有用であると考える。市民球場跡地に整備する場合よりも「自由な設計」「高い拡張性」が確保され、また記念資料館から原爆ドームの軸線上の景観も保つことができる。

(画像再現:当時は紙資料からスキャンした画像を使用)

写真は中央公園にイングランド2部リーグ、Hull City A.F.C.のKingston Communications Stadiumを中央公園に同倍率ではめたものである。このスタジアムは公設の3万5000人規模のスタジアムであるが、この規模のスタジアムでも、中央公園の緑地はそのままに、運動場部分で十分に建設できると考えられる。

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「都市計画」「まちづくり」という言葉はよく聞かれるが、一つの計画を長期のスパンで実現したものは少ない。

市民球場の跡地利用に際しては、もういちど、50年前に構想されたグランドデザインを見つめなおし、考えることは都市の魅力を増すことにつながるだろう。そのような構想の中で、中央公園にサッカー専用スタジアムを整備することに無理はないと考える。

大規模でなくてもいい。

屋根があり、2週間に一回、ホームチームの活躍を願い、応援しに行く。

そのような施設がこの地に整備されれば、中央公園はさらに魅力のある公園になるのではないだろうか。

広島サッカー専用スタジアム構想委員会 | 現市民球場改修案

※2024年追記

⚪︎背景

この時期は広島になんとかサッカースタジアムを実現したい!でもなんか逆風しかない!そんな状況だったと思います。

そして市民球場跡地利用でサンフレッチェも関わった(と当時認識していた)水族館併設のサッカースタジアム案が「論外w」てな感じで落選する。ついでに折り鶴ホール問題で墳丘しまくってる、そんな状況だった記憶があります。

そんなか、ニートKOPは「跡地利用は議論不十分で決定しない。まだ建築年数が相対的に浅い市民球場の内野を再利用してサッカースタジアム化。これでサンフレは広域公園から紙屋町に移動して「立地問題」を先に解決。しばらくサンフレのスタジアムとして利用し、その間に市民球場跡地のがち計画を進める。

数年後、サンフレの資金力は安定し、財務力や動員の実績がついてきた時点で、新スタジアム建設の議論があればええんでないか、と考えていた時期です。

そんななかALL For Hiroshimaが動き出し、これは俺もHPでなんか協力できることないか?そうだ、妄想をもっと極めよう!と図書館で調べ物をし出したのでした。

⚪︎丹下健三の構想との出会い

そんな中、そもそもの市民球場の歴史や中央公園の経緯を知りたいと、たしか中央図書館で調べ物をしていた時に、この丹下健三の資料に出会ったのです。

「なんこれ・・・広島城の横にスタジアムあるやん・・・」

その時の衝撃はすごかったですね。

スタジアムを広島市の中心部に!と求めるも、維持費がー、ビッグアーチがー、アストラムラインはどうするんだー、サンフレ潰れるやろー、等々のアクションがあるなか見つけた、過去の偉人が「広島の中心って、スポーツも楽しめる空間、どう?」というマスタープランを描いていた事実。

こんな衝撃的な瞬間を経験できたことは、当時スタジアム問題に興味を持った自分には本当に宝物のような経験でした。

なお、自分は工学部建築学科や建築史の教育も受けておらず、この丹下健三の構想が広島の行政のなかで、実際にどのよな位置付けであったのか、また将来的にどう実現されようとしていたのか、そのあたりはさっぱりとわかっていなかったのです。

⚪︎そして広がる人の輪

この画像を掲載したことで、色々と興味を持ってくれる人から連絡があり、人の輪が広がったことは当時、ちょっとした個人的事情から人間関係を閉じていた自分には救いのような出来事でした。

また、広島にサッカースタジアムを求める人間のなかで、ある種の正統性の精神的な土台となったとも思います。

では丹下健三の構想がない、他の街には応用できないのか?

そうではなく、今日、今声を上げる事が、将来のその街の市民にとっては広島における丹下的な存在になる、その重要性だと思います。

クラブが強くなる、優勝する、といったことは、サッカースタジアムを求める運動にとっての瞬間風速的な追い風になります。しかし、そのベースにはゆーっくりと土台となる、「街にスタジアムを!」と求める人々の存在が絶対に必要なのだと思います。いつかくる、その瞬間に備えて、持続可能なスタジアムを求める動きの重要性をこの記事を読み返し感じます。

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